仄暗いフィンランドの底から#17「生と死の間にいる存在」

実家の飼い犬が亡くなった。15歳であった。

4月21日朝。授業は昼からだったがなぜか早くに起きた。妻も起きるなり私に向かってLineを開けと言ってきた。メッセージを確認すると愛犬の訃報であった。

最近までは元気であったが容体が急変した。動物病院へ連れて行き一時入院したが真夜中に1人で亡くなってしまったそうだ。父曰く、朝、遺体を預かりに行った時にはまだ体が温かかったとのことで、朝近くまで頑張っていたのではないかとのこと。もっと早くに手術をしていればと後悔していたが、誰も責めることはできない。

動物が何を考えていたかは分からない。夜中に誰もいない場所で1人孤独に死んでいったと聞き私は可哀想に感じた。死ぬ時は家族の顔を一目見たいのではないかと。しかし1人孤独に死んでいくことが辛いことなのかどうかは人間が勝手に考えていることである。結局最後まで人間のエゴや価値観をペットに押し付けているのだ。

それでも愛犬のことを大切に思っていたことは確かなことなので、人間としては最期に一目自分のことを見て欲しと思ったり、触ったり、匂いを嗅いで欲しいと思ってしまうのだ。

フィンランドに移住すると決めた時、遅かれ早かれこうなることは想像できていた。家族と別れを告げた時には、もしかしたら2度と会うことができないかと思って出国した。年齢的にもう犬に会うことができないと思っていた。しかし訃報を耳にすると、思っていた以上にショックが大きかった。

とにかく早く起きてよかった。ビデオ通話であったが、火葬前に一目見ることができた。しかし触れることができない。父の言う温かさを感じることができなかった。

訃報から数日経ったが、私は死を受け入れている気がする。もともと離れて住んでいたから愛犬が死んだ変化を実感する機会がないことも一つの原因だろう。

彼の思い出を胸にしまってフィンランドに来た。その思い出は誰も奪えないし私が死ぬまで残り続ける。実家を去った時に、愛犬は私にとって生と死の間にいる存在になっていたのかもしれない。そしてそれは今も同じなのかもしれない。

海外に住んでいると気楽に大切な家族のもとへ帰ることができない。なぜ海外に住んでいるのかを自問した。答えは上手く出てこなかった。死は突然やってくる。でも素晴らしい出会いも突然やってくる。出会いあれば別れあり。いままでありがとう。楽しい思い出がいっぱいです。

おわり

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