今回は『Joker』の感想を述べていきます。
.予告
.作品紹介
階段で踊る話
.監督
トッド・フィリップス
『ハングオーバー!』の監督なのですね。
.役者
ホアキン・フェニックス アーサー役
私は『her/世界でひとつの彼女』が大好きです!!!
ロバート・デ・ニーロ フランクリン役
アーサーにとっての父親的な存在、憧れの存在を演じていましたね。
ザジー・ビーツ ソフィー役
『デッドプール2』の運が良いという能力をもつドミノ役の人。アーサーの空想上の恋人。
.「アーサー」から「無名の殺人犯」へ、「無名の殺人犯」から「ジョーカー」へ
Jimmy DuranteのSmileと共に読んでみてくださいね!
アーサーは無職になり、社会からのサポートも無くなり、父親的存在のフランクリンにもバカにされ、母親には裏切られた。銃による金持ちの殺害によって社会から歪んだ形で認識され、そこに承認欲求を見出していくことに。彼は殺人者になることでしか社会に存在できなかったのである。
まるでトランプにジョーカーが必要なように、彼がそのポジションを埋めたのではなかろうか。
現在私はフィンランドで無職である。いや、厳密に言うと夜に少しだけ働いているが、社会的には無職に分類され、失業手当という名の生活保護を受け、妻や妻の家族、そして社会にサポートされている。
私がこの地にいる理由はいたって単純で、妻がフィンランド人だからだ。
日々前進しようとしているが、何か得体の知れないものに体を後ろに押されている感じがする。これは文化の違いや気候の違い、フィンランド語の難しさのせいだと思われる。
この後ろに押される感じは、この映画に終始あったため、自分自身のことを見ているようで非常に怖かった。
また周囲と溶け込めないという感じはアーサーと通じるものがある気がした。
スタンドアップコメディーを勉強しているシーンでの周囲と笑いのタイミングがずれ、笑いのツボが分からない感じは、私が今フィンランドで置かれている現状と重ね合わせてしまった。
移民やフィンランド人の笑いのツボがたまに合わないのだ。「何がそんなに面白いの?」と思いつつも私だけが笑っていないのはおかしいので笑いを合わせていく感じだ。
もし、唯一の理由である妻という存在にこの地にいることを否定されてしまえば、私は日本に帰国することになるだろう。フィンランド政府からもこの地にいることを承認されなくなるのだ。社会から排除されることとなる。
人は何かしらの「理由」を持って社会に存在しているのだ。たとえ辛い状況でもだ。しかしその「理由」がなくなってしまったらどうなってしまうのだろうか?
そこで私はアーサーが生きている理由について気になり始めた。アーサーは映画の冒頭にて「母親を常に守る」と現実か妄想か分からないトークショーで発言していた。
このことから彼が生きる理由は母親であることが予想された。映画の終盤では政府からのサポートもなくなり、さらには母親にも裏切られていたことを知ったアーサーは怒りに任せて母親を殺害した。
ぞっとした。。。私の頭によぎったのは介護疲れからくる肉親の殺害事件であった。。。
「母親を守る」と言っておきながら自らの手で殺害しているのである。さらに恐ろしいことが、彼の笑いが止まらない病気も母親の殺害以降綺麗さっぱり消滅し、トークショーではペラペラと流暢に会話を進めるのである。
生きる目的であった母親亡き今、アーサーはトークショーにて自害を計画する。アーサーにとってはこの社会に存在する理由、「意味」がないので自らを排除するのだ。しかし存在理由がなくなったのは「アーサー」であって、その「アーサー」は母親を殺すことによって死んだと思われる。なぜなら彼は「無名の殺人犯」として社会から既に承認されていたからだ。意図的に殺人を重ねることでその存在理由を一層強めていったのだ。
社会のサポートも無くなり、生きる理由であった母親もいなくなり、宙ぶらりんになった彼を唯一認識していたのが社会だ。それも「無名の殺人犯」としてである。誰かを銃殺することによって社会から認識された彼は「無名の殺人犯」と「ジョーカー」を同一のものとするために「ジョーカー」の名付け親のフランクリン、まさにアーサーにとって父親的存在であった彼を、社会が見ている生放送のテレビ番組にて殺したのではないだろうか。
結果的にアーサーは「母親」と「父親」を殺すことでアーサーから無名の殺人者を経てジョーカーになりえたのだ。
肉親や父親的存在を殺すことはとんでもないタブー的行為なので私たちは無意識に恐怖を感じる。
ただし、こういった恐怖と同時に笑える部分も垣間見えたのが非常に良かった。
例えば、子供の前で銃を落とすシーンのシュールさはとてつもなく、ここでは子供を笑顔にするピエロ(優しさ)x銃(凶暴性)が歪に見えたが、結果フランクリンを殺害するシーンでは全く違和感がないのだ。これはトークショーでは既に私たちはアーサーのことを殺人犯(凶暴性)と認識し、その殺人犯がピエロになっているからではないだろうか。
同僚を殺した後に、親切に元同僚のためにドアの鍵を開けてあげるところなども同様だ。殺人犯(凶暴性)による親切さ(優しさ)という歪さが面白さを加速さている。
凶暴性と優しさのミックス具合がとんでもなく良いのだ。
.まとめ
見る人によって感想が分かれる映画は大好きです。
その人の置かれている状況によっても感じ方が変わってきそうな内容ですし、まったく笑えない、鬱になるという感想もあるでしょう。私は今自分の置かれている現状とついつい比較してしまいました。
最後にこの映画から学んだ3つのこと
1.誰かをサポートすることの大切さ
2.貧困は個人だけのせいにすることができない
3.ユーモアは人生にとって大切